2007年07月02日

久野 啓一 ひさのけいいち

1991年、派遣エンジニアとして富士通や東芝で腕を磨いてきた中、29歳で独立を果たす。プリント基板設計の技術と持ち前の熱意で受注先を拡大する。95年 株式会社スリーテックへと発展し山梨にも事業所設立。2000年 決まりかかっていた回路設計から製造までの仕事をアメリカの巨大EMS(電子機器受託開発)企業にさらわれ、中小製造業が持つ技術力をネットワークする独自のEMSグループの組織化を決意、試作に特化した「EMS-R」グループを立ち上げた、試作一枚から頼める便利さが関心を集める。中ロットの生産も引き受ける「EMS-R2」グループへと成長する。04年には経済産業省の新連携対策委託事業に選ばれた。05年には日韓連携によるEMSグループを開発、現在、日刊企業60社を数える。07年、横浜からアジアの物づくり中小企業の成り立ちを根本から見直すため、デザインを核にした新たな企業連携に取り組んでいる。